全ては永遠の闇と謎の中へ。

今日、かつて(あるいは今も)1人のヲタクが彼岸の元へ旅立った。
彼の名は宮崎勤。そう、当時日本中を震撼させ恐怖のどん底にたたき落とした連続幼女誘拐殺人事件の犯人であり、最高裁で死刑が確定していた人物である。
その事件は手口や行動の残虐性と共に手を下した「宮崎勤」という人物の性格的な異常さがクローズアップされ、そしてある意味「ヲタク」というものをネガティブな方向へカテゴライズさせる一因となった。
当時既に駆け出しとはいえ、既にコミケに毎回参加しクビまでずっぽり「ヲタク」として日々を送っていたヲイラにとってもそれは衝撃的な事件であり、当時はまださじを投げていなかった両親に「いつかは自分の息子もこんな事をやらかすのでは」といらぬ心配の種ともなり、何かにつけてはこの事件のことを引っ張り出されて気分の悪い思いをしたものである。
「猟奇性」という観点では先日の秋葉原で起きた無差別殺人事件も似たようなものだが、彼が起こした事件の特異な点は、
「何が彼をあのような凶行に駆り立て、そして逮捕され、裁判を受け、死地に赴くその瞬間まで彼が何を思い、考えていたのかが全く予想も想像もつかなかった」
ことにある。
もしかしたら彼の一連の行動も先日の事件と同じだったのかもしれない。だが、彼は凶行に赴いた理由も、その時何を思い、考えていたのか、真実か嘘か推し量ることが可能な言葉を一言も語ることなく、ただ自分の「今」だけを語るだけだった。
事件の猟奇性もさることながらその後の彼の行動もまた十分に奇妙に充ち満ちたものであり、逮捕されてもなお彼の行動は「ヲタク」というものの「珍奇さ」を煽るには十分すぎるほどだった。
無論、「ヲタク」に対するバッシングはその当時今以上に「ヲタク」が「得体の知れないもの」であったために苛烈を極めた。「ヲタク」が「ヲタク批判」を振りかざすという「内ゲバ」的な行動すら珍しくはなかった。
そんな中で多くの「ヲタク」は息を潜め、世間の中に身を隠し、周囲の目につくことを恐れた。
自分に降りかかる滝のような雨と嵐のような向かい風の中、じっと身体を丸めて心の中にある「大切なもの」を守るしかすべがなかった。

あれから20年。

「ヲタク」は「サブカルチャー」を経て今や一部では「日本が世界に誇る文化の1つ」とさえ言われるようになった。外国でも「ヲタク」という単語が通用し、またそれにあこがれを抱いて日本を訪れるものさえ現れるようになった。
世間に珍奇的に取り上げられることは今も珍しくはないが、少なくとも世間の一部を除けばあからさまにバッシングされることもほとんどなくなった。
国を動かす政治家の中にも「ヲタク」的な素養を持ち合わせ、またそのことを隠しもせず、むしろそのことを積極的に「ウリ」にする人物すら存在する時代になった。
当時ブラウン管から流れていた映像がリバイバルされ、リメイクされ、また形を変えて世間に現れることも当たり前のように受け止められている。
そして当時彼もサークルとして参加していたコミケは日本全国はおろか全世界から人が訪れ、参加者数50万人を数える「世界最大のヲタクの祭典」となった。
当時PCブームに沸く中で少しずつ「ヲタクの集う街」となり始めていた秋葉原は今や全世界の「ヲタク」にとっての「聖地」へと変貌を遂げた。
もし、彼が今のコミケを、秋葉原を見たら、彼はその時何を思い、何を語っただろうか。
そして彼の中にある「闇」と「謎」はどう変化していっただろうか。
だが、それも今は全て永遠となった。
彼は自らの「闇」と「謎」を抱えたまま旅立っていった。何も語らず、吐き出しもせず。
やがてヲイラも永遠へと旅立つ。
もし、ヲイラが彼の地で彼に出会うことがあったなら彼の「闇」と「謎」にあるものを聞いてみたい。
そして、彼に一言語りかけたい。
「あなたがいたことでヲタクはずいぶんと表に出るようになりましたよ。いろんな意味でね」
と。

享年45歳。
その数奇な人生の多くは「闇」と「謎」に包まれ、永遠に彼から語られることはない。