変わりゆく世界とともに。

・・・なんておバカなヲイラがいきなりナルシーな文章を書いてるきっかけがいつもの「なのはA's」と「銀カレ」だったりするあたりがヲタクちゃんだなとは思うのだが(笑)、正直なところヲイラ自身もここ数年ある意味厳しい「現実」にぶち当たり、凹むなんてレベルじゃないほどに落ち込み、涙を流し、永劫の闇に帰る事を自ら選択もしかけた現実が「過去」として存在するだけに今日のこの2つの作品は心に染みた。
チャットで「はやては人格者だ」って話が出たけれど、彼女は誰よりも残酷とも思える厳しい現実を「過去」として持ち、欲しいものを夢見ることはもちろんのこと自らがそうありたいと思う「未来」すら諦めていた。そう、闇の書が目覚め、ヴォルケンリッター達が彼女の前に「現実」として目の前に現れるまで。
だが、その現実は夢見ることも未来すらも諦めた彼女に「夢」と「未来」を与えた。それがたとえ傍目からはささやかであっても大きな大きな変化となって「今」を生き抜く力になっていった。
だからこそ同じように幾多の時空を経ながら、自らの欲するものと悲しい現実との間で苦しんでいた闇の書の意志の気持ちは、はやてには手に取るように解ったのだと思う。
そして彼女に形はどうあれ「夢」と「未来」を与えてくれた闇の書の意志に対して今度は自らが悲しみを掬い取り、新たな「夢」と「未来」を与えたい。そして自らが永劫の闇に帰るまで共にあり、支え合いながら互いの新たな「未来」を現実にしていきたい。だからはやては自らの命を蝕んでいった根源であった闇の書にすら優しく接することが出来たのだと思う。
フェイトにしても形は少し違うが根本の考え方は同じだと思う。確かに夢の中は安寧であって自らが欲してやまなかったものを得ることが出来る。もしかしたら夢から戻ればもっと厳しい現実が待っているかもしれない。だけど、その「夢」を見ることを「現実」のものとして可能にしてくれたのは、「未来」を与えてくれたのは、それまでの厳しく、そして寂しく悲しい現実を掬い取ってくれた、大切な、かけがえのない人達がいたから。
だから今度は自分がそれに応えたい。そして大切な人たちと一緒にこれから新たな「夢」と「未来」を紡いでいきたい。その想いが強かったからこそ闇の書の呪縛を解き放つことが出来たのだと思う。
「永遠なんてない。みんな変わらなくちゃいけないんだ」という、なのはの言葉にそれが集約されている。もっと集約すれば「諸行無常」ってことだけど、改めて今週の「なのはA's」を見て、変化を恐れ、できる限り「変わること」を拒み続けたヲイラの生き方にくさびを打ち込まれたような気がしたし、「銀カレ」はそんな想いを改めて認識されられた。
「なのはA's」が「新たな未来へ向かうために今は何をなすべきか」を描いたとするならば「銀カレ」は「究極の未来へ向かうまで自分はどういう心構えで臨むべきか」という、それこそ古から数多の人がたどり続けた道をもう一度見つめ直す回のような気がした。
繰り返しになるが人はいずれ永劫の闇に帰る。それはもしかしたら明日かもしれないし、極論すればこの日記を書き終わった直後かもしれない。普段は目をそらしがちだし、目を向けたくないことも少なくない、人にとって永遠の課題だけれども、やはりときどきでもいい、しっかり目を向けて見つめるべきなんだと思う。夜の公園でタズサの問いかけに答えるピートの言葉はそういうことなのだと思った。

・・・変わらなきゃいけないんだよな。ヲイラも。そして新たな未来を。
とにもかくにもまずは職場に復帰しなくちゃな。
ヲイラの新たな未来はそこから始まる。きっと。